オーディション番組の毒舌審査員として、高い人気を誇るサイモン・コーウェル。彼の出演番組は、全て記録を塗り替える高視聴率を叩き出している。なかでも「Xファクター」は、最高で2,100万人もの人々が視聴、2010年のファイナルでは驚異の視聴率65%を記録、2011年のファイナルでも年間第1位の視聴率を記録した。もちろん、人気の秘密は辛口批評だけではない。敏腕音楽プロデューサーとしての確かな眼と耳で、ワン・ダイレクション、スーザン・ボイル、イル・ディーヴォらをデビューさせている。
そんなコーウェルが、「ブリテンズ・ゴット・タレント」で見出し、世に送り出したのが、ポール・ポッツ。最初のワンフレーズで観客を熱狂させた奇跡の歌声で優勝を掴んだ彼は、コーウェルのプロデュースで、2007年7月にデビューを飾る。そのアルバム「ワン・チャンス」は、全英アルバムチャート3週連続No.1に輝いた。さらに“携帯電話のセールスマンがスターになった”という波乱万丈な半生も話題となり、アメリカからヨーロッパ、アジアまでの14カ国でNo.1を獲得、400万枚のスーパーヒットを記録した。2008年の初の世界ツアーでは、16カ国全91回の公演のチケットがすべてソールド・アウト、日本でも来日公演、CM出演、TV出演を果たし、まさに一大旋風を巻き起こした。その後も2枚のアルバムをリリース、世界ツアーも精力的に続けている。
ポール役を誰にするかという重大問題で、英国の舞台で人気を博していたジェームズ・コーデンに白羽の矢が立った。ワインスタインに薦められて、ロンドンまで舞台を見に行ったプロデューサーのマイク・メンチェルは、「才能はあるし、似ているし、ユーモアだけじゃなくハートもある。全くうってつけだった」と絶賛する。しかし、その頃はまだ、コーデンはあくまで英国の人気俳優で、アメリカでの知名度は低かった。ところが、ブロードウェイで上演された「One Man,Two Guvnors」でトニー賞を獲得、一躍時の人となったのだ。
「彼は今やハリウッドの誰もが、その名を口にするスターの一人だ」と、プロデューサーのクリス・サイキエルは証言する。「ジェームズの名前が出たと同時に、他の名前は考えるべきじゃないと思った」とプロデューサーのサイモン・コーウェルも 手放しで認めた。フランケル監督も舞台を見て感動し、ポール役は満場一致で決まった。
撮影中のある日、ポート・タルボットのセットに、ポールとジュルズ夫妻本人たちがやって来た。ちょうど二人の披露宴のシーンを撮っていて、ジュルズ役のアレクサンドラ・ローチはバージンロードを歩いていた。「たまたまあの日に来るなんて、心臓が止まりそうになったわ。素晴らしいカップルだった。とても仲が良いことがわかったし、それを映画のなかで表現できたらと思ったわ」とローチは語る。
本作の歌声は、すべてポール自身の声である。ある時、コーデン自身の声を使ってはどうかという話があり、彼もやる気だった。ブロードウェイで1週間に8回のショーをこなしながら、ボイスレッスンも受けていた。しかし、歌えることと、オペラを歌えることとは大違いだった。「ポールが歌うだけで十分だった。私が『誰も寝てはならぬ』のあの大切な音を、もっとうまく出せるのでなければ意味がない。これでよかったと思う」と、コーデンは振り返る。
撮影中は、発声とオペラのコーチであるカイリー・マーティンに正しい呼吸を指導されながら、コーデンが実際に歌った。歌っているフリは、スクリーン上でバレてしまうからだ。マーティンはヴェニスに駆けつけ、コーデンがイタリア語でオペラのアリアの感じをつかむのを助けた。マーティンはプロのオペラ歌手で、ポールの個人的な友人だった。